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思い出をしまった場所

ハッピーエンドを思い描いています

おやすみセプテンバー

9月最後の日。

好きな人とたくさん話しました。

過去の愚痴や未来のこと、生活していく中で大切だろうと思われること。

そして、ふたりで大切にしていきたいこと。

 

ただただ、わたしは好きな人のことが好きです。

 

最近までわたしは、誰かに期待したり未来に思いを馳せることはやめようと心に決めていました。

そんなことしたって必ず傷つくだけだから。

自分を守るために、他人を信じることをやめました。

 

わたしの好きな人はわたしとの未来のことを考えてくれていて、言いにくいことを話してくれました。

わたしはまだわたしの全てで自分以外の誰かを信じる自信がありません。

だけど、好きな人のことは時間がかかるかもしれないけれど、信じていきたいと思っています。

 

彼はわたしを信じてくれているから、わたしとの未来を考えてくれているのだろうと思います。

感謝の気持ちが溢れてきます。

 

好きな人が苦しい時やつらい時、一番に思い出してくれるのがわたしであってほしいと思います。

「この人になら弱さを見せてもいい」と思ってもらいたい。

 

出会って時間はまだ浅いけれど、わたしの中心に居る人。

とてもとても大切な人。

 

わたしの精一杯で大事にしたい。幸せにしたい。

心からそう思います。

 

 

秋雨の音を聴きながら

冬の、雪の降りだす少し前の暗い空が苦手だ。

 

今年の秋は雨が続いて、このまま冬に突入してしまうんじゃないかなぁ、と憂鬱になってしまう。

 

わたしは1年の中で好きな季節は秋なのだけど、夏が終わってしまう寂しさでキュッと胸が苦しくなる。

そのキュッとした胸の苦しさが好きなのだ。

 

だけど暫くすると冬が来て暗い雲で空が覆われてしまうと憂鬱が溢れ出す。


青空が見えないことに不安を感じてしまう。

 

だけど雪は好きだったりする。 

雪の白さ(厳密に言うと白くないのかもしれないけれど)に安心する。

暗い空の下に雪が降るとほんのりと明るくなったような気がするから。

 

それに雪はご褒美のようにも感じる。

寒くて暗い冬に耐えているわたしへのご褒美。

暗い空を見上げて「雪が降りますように」ってお願いをする。

 

今年もまた9月が終わって10月が始まる。

終わればまた始まりが訪れる。

今日が終われば明日が始まる。

毎日はこうして繰り返していくけど、毎日はいつも新しく始まってるんだと思う。

 

大切だと思える人に、出逢った。

わたしたちの間では『見つけた』という表現が正しい。

この年齢になって(恋をしたい気持ちはあっても)誰かを恋愛感情で「好き」になれるなんて思ってなかった。

 

わたしたちは未来を見ることは出来ない。

見て経験して知っているのは過去だけ。

過去を生きてきて、そして今と過去は繋がっているけど過去の経験が全てではないこと。

 

誰かを好きになることはもうないと思っていたのは過去の経験から、人を好きになる自信がなかっただけなのかもしれない。

だけど毎日新しい1日が始まり、自分より少し後ろじゃなく、2〜3歩前を見ることができたら、少しだけ心は未来に向こうとするんじゃないかな。

前を向くきっかけは何だって良いはず。

 

わたしは好きな人を「見つけて」しまったから。

 

もうすぐやってくる苦手な冬空の下を、わたしはどんなことを思って歩くんだろう。

好きな人と一緒なら不安を感じることも少なくなるかもしれないなぁ、なんて考えたりしている。

 

冬が終わりに近づく頃「今年もまた冬が終わっちゃうのね」と寂しさを感じられたら、きっと過去のわたしよりも少しだけ前に進んだと言えるかもしれない。


そしてその寂しさを好きになれるといいな。

 

 

雨上がりに見える景色

8月は今日でおしまい。

毎年、あぁ今年も夏が終わっちゃうのね、と寂しくなる。

暑くて暑くて「早く夏終われー!」と毎日思っていたのに。 

 

34歳、独身。

来月35歳になる。

四捨五入すると40歳か…とちょっと呼吸が苦しくなる。

「…アラフォー」

思わず心の声が漏れてしまう。

 

わたしは1度結婚をしているので「結婚は?」「誰かいい人でもいないの?」「年齢も年齢なんだから…」と世話を焼くおばさま方がいない。有り難いことだ。

 

彼氏いない歴半年。

恋活も婚活もしていない。

 

離婚してすぐは、また結婚して子供を産みたいと思っていた。

それから色んなことがあって、今は別に結婚しなくていいし子供もいなくてもいいやって思うようになった。

 

わたしには7歳離れた18モノソミーの姉が1人いる。

染色体異常の障害で、身長は低くぽっちゃりしていてダウン症のようだけど、よく見ると少し顔の感じが違う。

 

わたしは姉のことが可愛くて仕方がない。

姉の仕草や行動が愛しい。

 

実は昔はこんな風に思えなかった。

姉の障害が嫌で嫌で、友達にも姉のことは話せなかった。

「どうしてわたしのお姉ちゃんは障害者なの」

いつもこんなことを考えていた。

 

大好きだった母方の祖母が亡くなったとき、忙しく動き回る周りの大人たちの邪魔にならないように姉とわたしは炬燵に入って声がかかるのを待っていた。

ふと姉を見ると炬燵の上にあった鉛筆をコロコロと転がして遊んでいた。遊んでいたというより鉛筆が転がる様子を観察していたような感じだったかもしれない。

わたしはそんな姉を見て「お姉ちゃんは子供のような純粋な気持ちを持ってるんだ!」と何故か心がふんわりと柔らかくなったのを今でも覚えている。

このとき初めて姉の障害を少しだけ理解したのだと思う。

 

最近になってやっと姉と2人で出掛けるようになった。

行きたいところや食べたいものを、姉自身でリサーチして教えてくれる。

美術館に行ったりアートに触れたり、カフェに行ったりした。

次回もアートを見に行きたいのだと言う。

 

姉は自分の気持ちをあまり言葉で表現しない。

楽しいことや嬉しいことは少ない口数で和かに伝えてくれるけれど、つらいこと悲しいこと怒り憎しみは一切言葉にしない。

 

我慢ばかりの姉に少しでも多く笑顔になってほしくて一緒に出掛けるようになった。

 

わたしはこの先恋人と呼べる人とは出会えないかもしれないけれど、姉が隣に居てくれて笑顔でいてくれればわたしには十分な気がしている。

 

「じゃあ、あなたの幸せはどうするの?」

と聞かれることがよくある。

姉と一緒に居ることでわたしが幸せになれないなんて、それは違う。

わたしが姉と一緒に居たいのだから、ね。

 

35歳を目前に、わたしにとって大切なことや思いが見えてきた。

こういう生き方が出来るんだってことにも気付いた。

 

8月が今日で終わる。

今年の秋はどんな風に過ごすだろう。

誕生日には今年も姉がバースデーソングをアカペラで歌ってくれるんだろうな。

楽しみ。