嫌でも見なければいけないこと
今まで自分の気持ちに嘘をついていた。
妊娠、出産のタイムリミットがあと数年に迫ってきたことに焦りを感じる毎日。
「今日がわたしの人生で一番若い日なんだよね…」
殆んどの友達は子供を産んだ。
「妊娠しました」
「○月に赤ちゃんが産まれます」
「○月○日に女の子の赤ちゃんが産まれました」
久しぶりに連絡が来たと思ったらそんな報告ばかりで、おめでたいコトなのに気分は沈んでしまう。
子供、大好きなんだけどな…。
どうしてわたしのところには来てくれなかったんだろう。
一緒に住む祖母が、わたしがまだ結婚している時、従兄弟の産まれたばかりの子供の写真を見ながらわたしに言った
「(わたしが産む)曾孫を楽しみにしてる」
という言葉が忘れられない。
元夫と離婚した後、父には
「もう孫は諦めてる」
と冷たく言われた。
楽しみにされることも諦められることも、申し訳なくて遣る瀬なくなる。
父の思いの先に、わたしの気持ちなど全く考えていない事が悲しかったけど、離婚してしまったわたしが悪いんだと謝るしか出来なかった。
『子供がいない自分』から目を逸らしたくても、周りに起こる友達の妊娠、出産で、嫌でも『子供がいない自分』を思い出さなといけなかった。
元彼には、子供が出来ないのはわたしの所為で、挙句、不妊治療してくれる男でも見つけろと言われた。
元彼と結婚しなくてよかったと心底思う。
(別れてから「本当に結婚したい」と言って復縁を迫られたけど、時既に遅し。)
前に仲の良い従姉妹に
「(わたし)ちゃんも支えてくれる人がいて欲しいでしょ?」
と言われたことがあって。
今まで誰かに支えて欲しいと思ったことが無かったからピンとこなかったけど、今ならよく分かる。
結婚していたかったな、と思う。
元夫と、とかじゃなくて、漠然と。
どんな人とでもいいワケじゃないけど、結婚していたら、子供がいないわたしの心の苦しみや思いを1人で抱えなくていいから。
甘えなのかも知れないけど。
(結婚していたら子供だって居たかもしれないんだけど。)
こういう気持ちの時に、心細い時に、寄り添ってくれる人が必要なんだろうね、わたしには。
今月に幼馴染に2人目の子供が産まれる。
とても喜ばしいことで本当に素晴らしい。
なのに、100%の気持ちで祝えない自分がいて嫌になる。
競争じゃないのに。
だけど、あと数年で(既にリスクがあるというのに)妊娠すら望めなくなるんだと思うと焦ってしまう。
妊活しようにも1人では無理だし。
どうしてわたしは皆んなと同じように生きられないんだろう。
子供のいない人生を選んだつもりなんて無いのにな。