チョコレートドーナツ
「チョコレートドーナツ」
何年か前から気になっていて、でも観れないでいた映画。
最近観ることができた。
DVDを借りることも買うことも、小さな劇場で再上映をされていて観に行くことだって出来たのに、わたしはそれらをしなかった。
思いがきっと強すぎたんだと思う。
わたしにとってこの映画は大切なものになるだろうと疑わなかったから。
Mommyという映画がある。
グザヴィエ・ドラン監督の作品で、ADHDの息子とその母、そして向かいに住む女性が生きづらさや葛藤、苦しみを感じながらお互いを助け合い生活をしていくというものだったけど、ハッピーエンドで終わらなかった。
内容は重くて絶望がいつも隣り合わせにあるような映画だった。
観終わった後、帰り道、電車の中、家についてから、そして数日わたしの中で「ハッピーエンドで終わらなかった映画」はモゾモゾとし続けた。
だけどそれは決して面白くなかったからって訳じゃなくて、わたしの心に深く響いたから。
だからきっと「チョコレートドーナツ」もわたしの心に重く響くんだろうと。
観終わってから10日ほど経ったかもしれない。
1970年代、ゲイの男性(ルディとポール)が育児放棄されたダウン症の少年(マルコ)を養子として引き取るために奮闘するという内容だった。
観始めて暫くするとルディがマルコの手を繋いで歩き出すシーンがある。
そのシーンを観てわたしはホッとした。
ルディはマルコを最後まで絶対に見捨てたりしない人なんだと分かったから。
とても好きなシーンがある。
「チョコレートドーナツが好き」と言うマルコにポールが「ラッキーだったな」といって戸棚から持ってきた紙袋を見せる。「食事がドーナツだなんてダメよ」と止めるルディ。チョコレートドーナツを頬張るマルコの笑顔に、穏やかな空気が流れた。
何気ない家族のワンシーンだけど、果てしない優しさを感じるシーンだった。
この映画は育児放棄されたダウン症の少年よりも1970年代同性愛者が社会から差別を受けていたという事実について強く描かれていた。(障害者の人権が軽くみられていたということも含め。)
『正しい』とは一体何なのか、分からなくなってしまうような差別社会。
ラストシーンはとてもソフトに描かれていたけれどわたしには重たくて暗いラストだった。
今思い出しても苦しさを感じてしまう。
ハッピーエンドで終わらなかった。
わたしの中でモゾモゾを残したこの映画は、きっとこれからも断片的にシーンを思い出させ、苦しみや優しさを感じさせてくれるんだろう。
大切な映画がまた1本増えた。